報恩講
11月
宗祖親鸞聖人ご命日の法要です。
報恩講とは文字通り、恩に報いる講(集まり)です。では、恩に報いるとは一体どういう事でしょうか。本願寺第八代の蓮如上人は、「本尊は掛けやぶれ、聖教はよみやぶれ」と仰います。
大切なお聖教やご本尊は大事に保管しておくのではなく、生涯をかけてその教えに身を投じなさいというお言葉であります。
また、聖人自身も師である法然との出会いを通して、生涯念仏者親鸞として念仏一道を歩まれました。私たちもまた、聖人を宗祖と仰ぐ以上、少なくとも「求道不止」お念仏の歩みを止めてはならないのではないでしょうか。
「仏法は聴聞に極まる」同時にその歩み、日々の「聞法」念仏生活においてはじめて、恩に報いるということが言えるのではないでしょうか。
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」如来の弘誓を証(あかし)するのは他でもなく、このわたし自身が念仏申す身になること以外にありません。つまり己においてわたしにかけられた如来の願いを証していくのです。
今日まで報恩講が続いてきた伝統のうらにはひとり一人の己証(こしょう)があります。 そのひとりの己証がやがて法座となり、法要になり、毎年の報恩講となり、そこで教えが受け継がれ、また教えに出会う人が生まれていくのです。
仏法を聞く事はとても難しい事です。ですが、慌ただしくめまぐるしい現代だからこそ、報恩「講」という宗祖の願いの中で、共に違いをこえて出遇っていくことの出来る世界があるのではないでしょうか。
御絵伝
永代経法要
3月
永代経とは、永代(これから先)に亘ってお経(教え)が伝わっていくようにと、亡き方を偲びその縁を通して、いまを生きるわたし達がお経を聞き、その教えに出遇っていくことが願われている法要です。
お経は、亡くなった方の為に読むものだと認識をされている方も多いのではないでしょうか。
しかし、今から2500年前インドで仏教を説かれたお釈迦様は、亡くなった方に説法された訳ではありません。老病死(四苦八苦)といった苦しみを抱えながら生きている人間に対して法(教え)を説かれました。
お経とは、「生死出づべき道」人間が善悪の迷いを超えていく為に、お釈迦様がわたし達に説き残して下さったものであり、亡き方への追善として捧げるものではありません。
同時にその歴史を紡いできた諸仏全体の 「お経を聞け」という 呼びかけが、「南無阿弥陀仏」という名号となって私たちにいま届けられています。
その呼び声に耳を傾け、世間の慌ただしさから一歩足を止め、自分自身の在り方、生き方を問うていく、その一歩がまた我が身も永代経という歴史の一端に身を置かせていただくということになるのでしょう。
永代経に登録されますと、「正休寺永代経法名軸」に、故人の法名を記載させていただきます。毎年永代経法要の際、記載した法名軸を上記写真のように本堂にお掛けし、法要が勤まります。
・登録志納金 3万円
春・秋彼岸会
3月・9月
春彼岸、秋彼岸共に中日に行います。
修正会
1月
除夜の鐘